ブエノスアイレスの街を歩いていると、5分ごとにストリートアートをみかける。ブエノスアイレスのストリートアートは繊細で詩的な作品や、不思議な国の夢を語っているような作品が多い気がした。「文学的」なストリートアートといえるのか、とにかく驚いた。
なぜここまでアーバンアートが普及されているのか。
ブエノスアイレスのストリートアートは、独裁政権(1976-1983)が終わった頃から始まったそうだ。独裁政権の頃は、自由な表現は鎮圧され、街の壁に何か描くことは強く禁止され、すぐ消された。その拘束から解放されたポルテーニョ(ブエノスアイレスの住民)は自分たちのものに戻った街とその壁に自由を表現するようになった。
ちなみに独裁政権の頃、反対する多くの若者が拉致されて »desparecido »(行方不明)とされた。その数は約3万人だといわれている。街を歩いていると、この写真に見えるように、記念プレートが残されていて、独裁政権の恐ろしさを身近に感じられる。「ここでは、市民運動に参加していたミゲル=アンジェル・ルソーが勉強をしていた。1976年5月12日に国家のテロリズムによって「行方不明」とされた。」
アートストリートの話に戻るが、その後、2001年に経済危機がアルゼンチンを襲う。ブエノスアイレスのストリートアートシーンは更に盛り上がる。経済危機、とりわけ政治と社会に対する不満を壁にぶつけるアーティストが増える。やがて世界中からもストリートアーティストがやってきて、ブエノスアイレスの壁に作品を残していくようになる。
今は、街中がオープンミュージアムになった感じで、ストリートアートを巡るツアーガイドやワークショップまで存在する。
ストリートアートがここまで発展できた理由には、市の理解があったからだそうだ。なんとブエノスアイレスでは、建物の大家さんの許可さえ得れば、壁に絵を描くことが許されている。しかもアーティストから大家さんにお願いすることはあるが、大家さんからアーティストにお願いすることもよくあると。また、お店を持っている人がお金を払ってアーティストに外壁の絵を注文することも多いらしい。市は市でアートプロジェクトの支援金を出したり、公共の場の壁面の絵を発注したり、地下鉄の駅のアートを注文したり。
アーバンアートがこれほど盛り上がっている理由には、アーバンアートにふさわしい環境が、市・住民・アーティストの調和という形で、整っているということだった。また、アートの場はギャラリーや美術館、というヨーロッパのエリート主義な考えから解放されている「新世界」ならではの可能性をよく表していると思った。